前回の記事『日本留学経験を持つ世界の指導者5名を紹介』では、世界の指導者になった日本留学経験者について見ていきました。埼玉大学出身の若きモンテネグロ首相、そして中国の大物政治家や石油王まで、様々なリーダーたちが学生時代を日本で過ごしています。
今回の記事では、2024年現在の世界の指導者たちの経歴と、彼らの出身校について見ていきましょう。先ずは、2024年6月の総選挙で大きく議席を減らしながらも、3期目のインド首相の座を維持したナレンドラ・モディ首相です。
インドのナレンドラ・モディ首相と母校グジャラート大学
ナレンドラ・モディ氏は1950年9月17日、インドのグジャラート州で産まれました。上位カーストに比べて社会進出や教育水準で遅れている後進諸階級の生まれで、紅茶売りの子供として育ちました。こうした出自や地方から中央政界の首相まで上り詰めた経歴から「インドの田中角栄」と呼ぶ人もいます。一方、学歴としては、グジャラート大学で政治学修士号を取得しています。
2001年から2014年までグジャラート州の首相を務め、インフラ整備や外資の受け入れにより経済成長を実現しました。彼のリーダーシップのもと、グジャラート州は大きな発展を遂げました。一方、ヒンドゥー至上主義的な政策や反イスラーム的な言動でも知られています。
2014年の総選挙でインド人民党が勝利し、モディ氏はインドの第18代首相に就任しました。彼の政権は「全国民とともに」を掲げ、国内の分断を避ける姿勢を示しましたが、非ヒンディー教徒への圧力やヒンディー語の強制策が批判されています。モディ氏は英語を流暢に話せますが、外国の要人との会談ではヒンディー語を使用しています。
それでは、モディ氏の出身校であるグジャラート大学とはどんな学校なのでしょうか?
グジャラート大学
グジャラート大学は、インドのグジャラート州アーメダバードに本部を置く州立大学で、1949年に設立されました。旧ボンベイ州における最古の大学であり、8つの県と2つの連邦直轄領に教育機関を設置しています。同大学はモディ首相だけでなく、インド宇宙開発の父と呼ばれるヴィクラム・サラバイ博士など多くの著名な卒業生を輩出しています。
続いては、ウクライナに対する軍事作戦で非難の的となっているプーチン大統領について見てみましょう。
ロシアのプーチン大統領と母校レニングラード国立大学
ウラジーミル・プーチン氏はレニングラード(現・サンクトペテルブルク)で生まれ、レニングラード国立大学で法律を学びました。1975年に卒業後、KGBで16年間勤務し中佐まで昇進しましたが、1991年に辞職し、サンクトペテルブルクで政治活動を開始しました。その後モスクワに移り、ボリス・エリツィン政権に参加し、連邦保安庁長官や連邦安全保障会議事務局長を経て、1999年8月に首相に就任しました。
同年12月、エリツィンが辞任しプーチン氏は大統領代行に指名され、2000年の選挙で初当選、2004年に再選されました。憲法上、連続2期までしか大統領に就任できないため、2008年から2012年はドミートリー・メドヴェージェフに大統領職を譲り、プーチン氏は首相を務めました。2012年に大統領に復帰し、2018年に再選。2021年には憲法を改正し、2036年まで大統領職を延長できる可能性を確保しています。
それでは、プーチン大統領の出身校、300年の歴史を持つレニングラード国立大学とはどんな大学なのでしょうか?
レニングラード国立大学
レニングラード国立大学(現サンクトペテルブルク大学)は、1724年にピョートル1世によって設立された帝国科学アカデミー(現在のロシア科学アカデミー)が前身であり、1819年に独立した大学となりました。1861年から1862年にかけて学生暴動が起き、学校は2度閉鎖されました。また、第二次世界大戦時のレニングラード包囲戦の際、多くの学生と教員が餓えや戦闘、粛清により死亡したという厳しい歴史も持っています。
その後、1944年には創立125周年とそれまでの科学・文化への貢献が評価され、ソビエト連邦最高会議よりレーニン勲章が授与されました。また、1969年には労働赤旗勲章も授与されています。
物理学者アレクサンドル・プロホロフを始めとして多くのノーベル賞受賞者を輩出しており、その数はロシアの大学の中で最多となっています。一方、QS世界大学ランキング2018-2019年度版では235位と、モスクワ大学(90位)についでロシアで2番目の位置に付けています。
続いては、現在世界で最も影響力のある指導者、アメリカ大統領のジョー・バイデンについて見てみましょう。
アメリカのジョー・バイデン大統領と母校デラウェア大学
ジョー・バイデン氏は、デラウェア州代表として36年間上院議員を務め、その後第47代副大統領となりました。バイデン氏はペンシルベニア州スクラントンで生まれ、デラウェア大学とシラキュース大学で学び、ニューキャッスル郡議会議員も務めました。
上院議員時代、バイデン氏は女性に対する暴力防止法を起草し、また多くの外交政策にも関与しました。副大統領としては、オバマ政権下で医療費負担適正化法や経済復興のための復興法の成立を支援しました。また、バイデン氏は国内外の同盟関係を強化し、イラクへの軍隊派遣の撤退を指揮しました。バイデン氏の長男ボー氏は、デラウェア州の司法長官を務め、脳腫瘍により2015年に他界しました。こうした経験も、バイデン氏の政策に大きな影響を与えていると言われています。
バイデン氏は、2019年に米国大統領選に出馬し、2024年5月現在もアメリカ大統領の地位にあります。また、年齢と議員キャリアの長さから、米国の歴史の中で最も経験豊富な政治家の1人であると評価されています。
それでは、バイデン氏の出身校であり、300年近い歴史を持つデラウェア大学とはどんな大学なのでしょうか?
デラウェア大学
デラウェア大学はアメリカ東海岸のデラウェア州ニューアーク市に位置し、1743年に創立されました。工学、科学、商業、経済、コンピューター、海洋学、農学、美術、人文科学などの分野で高い評価を受けています。学内には世界92ヶ国からの留学生を含む約14,500人の大学生と3,000人の大学院生が在籍しています。また、デラウェア大学が提供するELI(English Language Institute − 集中英語プログラム)は、国際プログラムの一環として重要な役割を果たしています。
デラウェア大学の出身者には、ノーベル賞を受賞した微生物学者ダニエル・ネイサンズ、複数のアメリカ合衆国議員、そしてバイデン大統領の妻であるジル・バイデンなどがいます。
日本の岸田文雄首相と母校早稲田大学
岸田文雄氏は広島県出身で、通商産業省(現:経済産業省)の官僚であった父親のもと、東京で育ちました。
1963年、父の仕事の都合でアメリカ合衆国ニューヨーク市に引っ越し、小学校1年生から3年生までの3年間を現地のパブリックスクール(公立小学校)に通いました。日本に帰国後は永田町小学校(現:麹町小学校)の3年次に転入し、麹町中学校を経て、1973年に開成高等学校に入学しています。高校生活では野球部に入部したほか、ロック/フォークの流行に影響を受けギターにも打ち込んだそうです。
開成高校を卒業した後は、東京大学を目指していましたが、3年連続で東大に不合格となってしまい、その後 1978年に早稲田大学法学部に入学しました。早稲田大学は、数多くの政治家を輩出していますが、当時岸田氏は政治家を志していたわけではなかったと回顧しています。
1982年、早稲田大学法学部を卒業し、同年日本長期信用銀行(現:SBI新生銀行)に入行。 最初の配属は本店での外国為替業務でした。その後、海運業界担当の営業として高松市に赴任しています。 そして、1987年3月に政治家になるため、長期信用銀行を退職しました。
外交においては英語も多用する岸田氏の来歴ですが、彼の卒業校である早稲田大学についても見ておきましょう。
早稲田大学
早稲田大学は、明治14年の政変後に大隈重信によって設立された東京専門学校が前身であり、日本の私立大学では最も古い段階で大学令に基づく大学となりました。現在は10の学術院を持ち、13学部・25研究科(大学院)を擁しています。
国際交流が盛んであり、特にアジアからの外国人留学生が多く在籍しています。また、政治経済学部を中心に多くの政財界のリーダーを輩出しています。
2017年には、イギリスの教育専門誌『タイムズ・ハイアー・エデュケーション(THE)』による日本の私立大学ランキングで1位に選ばれるなど、高い評価を受けています。
続いては、今や世界第二位の経済大国となった中国の国家主席、習近平氏について見てみましょう。
中国の習近平国家主席と母校清華大学
習近平氏は、1953年6月15日に北京市に生まれました。1965年に中学校である北京市八一学校に入学しましたが、1966年5月の文化大革命の発生により学校が解散。これにより彼の学校教育は中断されてしまいます。更に、紅衛兵によって十数回も批判闘争大会に引き出され、4度収監されるなどの経験もしています。
中学1年以降は正式な教育を受けられていませんでしたが、「工農兵学員」という模範的な労働者・農民・兵士(個人の政治身分)の推薦入学制度を経て、国家重点大学の清華大学化学工程部に無試験で入学。有機合成化学を学びました。1979年4月に同大学を卒業した後、国務院弁公庁及び中央軍事委員会弁公庁で副総理と中央軍事委員会常務委員の耿飈氏の秘書をかけ持ちで務めました。1998年から2002年にかけては、清華大学の人文社会科学院大学院課程に在籍し、法学博士の学位を取得しています。
2000年に福建省長、2002年に浙江省の党委員会書記に就任した後、2007年には上海市党委員会書記に就任しました。これは上海市で大規模な汚職事件が発覚し、当時の市党委員会書記の陳良宇が罷免さたことがきっかけとなっています。同年10月の第17期党中央委員会第1回全体会議(第17期1中全会)において、一気に中央政治局常務委員にまで昇格するという「2階級特進」を果たし、中央書記処常務書記、中央党校校長に任命されました。
それでは、習近平氏の出身校である清華大学について見てみましょう。
清華大学
清華大学は、中国国務院教育部直属の国家重点大学であり、14の学院と56の系を持つ総合大学です。「エンジニアの揺籃」と称され、多数の技術人材を輩出しています。
全国普通高等学校招生入学考試(いわゆる『高考』)の成績優秀者が進学先として選ぶ大学の一つで、2024年の「THE世界大学ランキング」では世界第12位、アジア第1位に評価されました。特にコンピューター・サイエンス、AI研究、ケミカル・エンジニアリングなどの分野で世界第1位とされています。MITとの提携やグローバル・イノベーション・エクスチェンジの開設、オックスフォード大学のローズ奨学制度をモデルとした全額奨学制の国際関係学修士プログラムであるシュワルツマン・スカラーズの設立など、国際的な教育プログラムを展開し、アジア大学連盟の設立にも関与しています。清華大学は、政界や経済界にも多くの人材を輩出し、中国政府のブレーントラストとしても評価されています。
最後は、イギリスにおける初のインド系首相であるリシ・スナク首相について見ていきましょう。
イギリスのリシ・スナク首相と母校オックスフォード大学
イギリスの首相リシ・スナク氏は、2022年10月24日に保守党の党首に選出され、25日に首相に就任しました。彼はオックスフォード大学で哲学、政治学、経済学の学士号を取得し、在学中は投資サークルの会長も務めました。卒業後、ゴールドマン・サックスでジュニア・アナリストとして働き、米国株を担当しました。その後、スタンフォード大学でMBAを取得し、ヘッジファンドのTCIに勤務しました。さらに、同僚と共にテリーム・パートナーズを設立しました。
スナク氏は、妻アクシャタ・ムルティが経営する投資会社カタマラン・ベンチャーズの取締役も務めましたが、2015年に国会議員になる前に辞任しました。彼はロンドンだけでなく、カリフォルニアやインドでも働いた経験があります。
彼の経歴の特徴は、ゴールドマン・サックスでのアナリスト、スタンフォード大学でのMBA取得、ヘッジファンド勤務、テリーム・パートナーズの共同設立など、多岐にわたる金融業界での実績です。
それでは、スナク首相の出身校でもある、言わずと知れた世界一の名門校、オックスフォード大学について見てみましょう。
オックスフォード大学
オックスフォード大学は、ケンブリッジ大学と並ぶイギリスの名門校であり、世界大学ランキングで2017年から2024年まで連続して1位を獲得しています。また、QS大学ランキングでは2024年に世界総合3位と評価されています。
オックスフォード大学は独立した自治団体であるカレッジ(学寮)とホール(下宿)から構成される学寮制で、12世紀末にパリ大学から神学者を招聘したことが創設の起源とされています。イギリスでは中世以来、ケンブリッジ大学とともに高等教育をほぼ独占し、多くの指導者を輩出しています。2024年までに30人のイギリス首相と、多数のノーベル賞受賞者を輩出しました。また、日本の皇族や6人のイギリス国王もこの大学で学んでいます。
オックスフォード大学の創立年は1167年とされていますが、その前身となる教育施設は1096年には存在していたと考えられています。1167年にイギリスの学生はパリ大学で学ぶことをヘンリー2世によって禁じられたため、学者がオックスフォードに集まり、大学が形成された経緯があります。1209年には学生の処刑をきっかけに大学が一時解散しましたが、1214年にローマ教皇特使の交渉により再開されました。1571年には正式に大学の地位が制定されています。
2024年版 世界の指導者たちの出身校 – まとめ
今回は世界の指導者たちの経歴や出身校についてまとめました。インドと中国という台頭する二つの新興国のリーダーが、貧しい出自や時代ゆえに若い時代に苦労した経験を持っているのは興味深いことです。
また、ロシアのプーチン大統領の出身校レニングラード国立大学は、300年の歴史の中で暴動や戦争により厳しい経験をしてきた大学です。数多くのノーベル賞受賞者を輩出しつつも、世界的に見れば権威ある大学ランキングで余り上位にランクインしていないのも興味を引きます。
こうした視点で世界の指導者たちを見ていくと、その政策や言動の理由が垣間見れるかもしれません。
グローバルタレントの力で日本企業の海外進出をサポートする【株式会社PILOT-JAPAN】代表。及び、多言語Web支援を行う【PJ-T&C合同会社】代表。キャリアコンサルタントとして500名以上の留学生や転職を希望する外国人材のカウンセリングを行ってきた。南アジア各国に駐在、長期出張経験があり、特にネパールに精通している。