今回はベトナムにおける芸能・芸術について扱っていきたいと思います。私も一役者として非常に興味の湧く事柄なので、執筆するのが楽しみでなりません!早速見ていきましょう。
ベトナム人の識字率を上げた「クオックグー」とは
まずは文化の礎、ベトナム語とその表記法の歴史、そして驚異の識字率の謎について解説しましょう。
ベトナムは長い間中国の文化的影響を強く受け、10~19世紀の王朝時代には漢字・漢文が公式の文字や文章に使われてきました。自らが「中華世界」の一員であると考えていたベトナムの伝統的な知識人は、「中華世界」の聖なる言葉である漢字をつかうことに疑問を持たなかったのです。
しかし、もともと中国語とは別系統の言語であるベトナム語を、すべて漢字で書くことには限界がありました。そこでベトナムの知識人は、漢字で書けない純粋ベトナム語を表記する手段として「チューノム」という独自の文字を考案し、ベトナム語で詩を読む時などにはこれを使用するようになりました。
ところがこのチューノムにも問題がありました。チューノムは漢字をさらに複雑にしたような文字であり、すでに漢字を利用していた知識人以外には理解できない代物でした。13世紀ごろからチューノムは存在し、15世紀の胡朝、18世紀の西山朝ではこの難読な文字を重視していた王朝もあったようですが、ついにチューノムが漢字にとって代わることはありませんでした。
ベトナム語は声調言語(中国語もそうですね。中国では4種類の声調ですが、ベトナム語は6種類あります)ですが、音節の種類が大変多く、一つの音節に一つの文字を対応させるのでは、400以上の文字が必要であったことも漢字やチューノムでの表現の難しさの一因でした。
19世紀後半にベトナムを植民地化したフランスは、ヨーロッパ人宣教師が発明したベトナム語のローマ字表記法を推奨する政策を採用。当初ベトナム人はこれに反発し、反仏的な知識人は漢字・チューノムで文章を書き続けたものの、結局それらの言語に限界を感じた知識人はローマ字表記法を需要、これを「クオックグー(国語)」と呼び、その普及と表現能力の向上に努めるようになった。
大戦間際、ベトナムの9割以上の人々が非識字者であったと言われていますが、1945年9月に成立したベトナム民主共和国は「クオックグー」を正式採用すると、一気に国民の教育レベルは上がりました。2020年の時点でベトナムの成人識字率は約97.85%とされ、これはアジア諸国ではかなり高い数値です。
しかし同時に、歴史ある漢字やチューノムを理解できる人はほとんどいなくなり、伝統の断絶など別な問題を生んでしまってもいるようです。
言葉がすでに詩…ベトナムの古典音楽
ベトナムは「詩と竹の国」とも評され、文芸活動が盛んな国の一つです。
ベトナム語は先述した通り、中国以上の種類の声調をもつ言語であるため、話し言葉はそれ自体が小鳥のさえずるようであるとも音楽的に響くとも言われています。
今、傍らでベトナム語の挨拶やその他、日常の言葉を流し聞きしてみても、まるで詩を聞かせてもらっているような心地です。
日本語は、特に標準語とされる言語は、口腔内の平たく狭い範囲の部分しか使わないで口先だけで済んでしまう、かつ抑揚が少ないものです。これは歌ったり舞台での発声においてはたいへんな不利益をこうむります。ミュージカルで、日本人と外国人がそれぞれの言語で歌うと、周囲への音の響き方の差が、表現力の絶望的な差として感じられます。
もちろん他言語を学ぶ上でも障壁となります。口腔内の使う量や舌の使い方など、新規に体で学ぶことは非常に多く、直線的に発声する日本語から、響きのある他言語を習得するのは骨の折れる行為です。
さて、ベトナム語という「小鳥のさえずり」で詠まれる詩が旋律と結びつき、民謡となって各地に残されています。
クアンホ
「あなた行かないで、ここにいて、行ってしまわないで。あなたが行ってしまったら、私は涙に濡れるでしょう…」
ベトナム戦争中の北ベトナムで流行った『あなたをずっと思う』の一節です。この歌はもともと「クアンホ」と呼ばれるバクニン省に伝わる民謡でした。
元来はテトの祭礼期間に男女のグループが掛け合いをする相聞歌であり、出会いの挨拶から別れを惜しむところまで一定の形式に則って無伴奏で歌われる農村の民間芸能でした。歌詞は恋愛を想起させるものが多く、多様な旋律群に乗せて即興の歌詞で歌うのが本来の形式です。
「クアンホ」は2009年、ユネスコの無形文化遺産に登録されました。
カーチュー
11世紀の李王朝時代。ベトナム北部紅河デルタ地帯で生まれた「カーチュー」は、宮廷内から民間へと広まりました。歌詞が漢字・チュノムで書かれていたので、知識人らの間では特に流行しました。伝統楽器の節に合わせ、高度に洗練された難易度の高い歌唱法で詩と曲を情感豊かに歌いあげます。「クアンホ」と比べると、より民謡に近い哀愁漂う曲が多い気がします。
衰退の一途をたどっていましたが、伝統文化継承復興の機運から、後継者育成やベテラン演奏家らの映像・音源保存が進められ、2009年にはユネスコの「緊急に保護する必要がある無形文化遺産」に登録されました。
ソアン
一時は「緊急に保護する必要がある無形文化遺産」リストに登録されておきながら、地域社会や国家当局の努力によって危機を脱出、2018年に「人類の無形文化遺産」の代表的リストに移された「ソアン」
2009年に無形文化遺産の登録が始まって以来、この様な世界遺産のリスト移行は初めてのことだとか。
紀元前2879年に文郎(ヴァンラン)国を建国した初代「雄(フン)王」。このフン王への崇拝のために作られたのが「ソアン」です。
歌と踊りを交えた、神聖な儀式のようなもので、当初は人気がなく踊り手の平均年齢も60歳前後だったものの、近年では女優などが参加し人数も増え、平均年齢も30台にまで引き下げられました。
ニャーニャク
歌ではありませんが、音楽という点ではこちらも忘れてはいけません。
中部の古都フエの宮廷には、「ニャーニャク(雅楽)」と呼ばれる宮廷音楽がありました。帝位廃止に伴い演奏技能の伝承が途絶し、演奏家の離散や高齢化のためにほとんど消失の危機に瀕していました。近年、日本を含む海外の研究者らの学術的援助を受け、フエ音楽学院に設けられた雅楽科にて後継者の養成がおこなわれています。
2003年に、ベトナムでは初めてユネスコ無形文化遺産に登録されました。
日本の雅楽と比べると、同じ名前でも中国の音楽に近い印象を受けます。
フエ王宮 宮廷音楽
平成28年9月23日伊勢神宮 雅楽『迦陵頻』
聞き比べてみると大分違いますね。
古典から現代へ、躍動するベトナム音楽
これらの古典芸能は、プロの演奏家によって劇場で演奏されたりテレビやラジオで放映されたりと、もともとそれらがおかれていた文脈から離れて少しずつ変容しながら、新たな意味を得て命脈を保ち今も残り続けています。
これらの歴史ある古典音楽を持つベトナム音楽業界は、政策転換により急速な進歩を遂げ、ポップミュージックの捜索・演奏に乗り出します。
J-popならぬV-pop。次回はベトナム音楽の今を見つめてみましょう。
劇団民藝所属。俳優として活躍する傍らソーシャライズで多文化共生を推進すべく主に動画編集や記事の執筆、インタビューなどを担当。舞台や歌、踊りなど人類がはるか昔から共有していた活動にこそ相互理解の本質があると考え、人の心に触れる術を日々模索している。