多文化コミュニケーションを考える-共通の体験や記憶を持っていない人たち

小学生のころ、中高生のころ、大学生や新入社員時代に、それぞれ流行っていたものを思い出せるでしょうか?

例えば、1986年生まれの筆者の場合小学生時代を過ごしたのは1990年代で、テレビではダウンタウンやとんねるず、中学高校時代はJ-POP全盛期で浜崎あゆみや宇多田ヒカルが人気でした。たまごっちやルーズソックスが流行ったり、漫画スラムダンクの影響でバスケットボール部の人気が高かったりしたことを思い出す人もいるでしょう。

これらは、1990年代に日本で小中高生時代を過ごした人たちが、おおむね共通して持っている共通体験、若しくは共通の記憶です。こうした体験や記憶は、コミュニケーションにとても役立つことを私たちは知っています。

例えば、
「何かスポーツをやっていらっしゃいましたか?」
『バスケ部でした。スラムダンク好きだったので』
「そうなんですね。私は野球でした。あだち充の漫画が好きだったので」
・・・
といった感じで会話が続きます。

あるいはその当時流行ったキャッチコピーや有名人のセリフ、流行語などもコミュニケーションで使用されます。
『芸能人は歯が命』『同情するなら金をくれ』などのフレーズは同じ時代を生きた人なら皆記憶に残っているでしょう。

一方、日本語の上手下手に関わらず、このような共通の経験や記憶を持ち合わせていないのが外国人材です。同じ時代を同じ文化圏で生きた、というコミュニケーションの素材が無いのです。それ故、職場でのコミュニケーションや雑談の際に、関係を築くための材料が圧倒的に少ないと感じられるでしょう。

例えば、
「スポーツは何が好き?」と聞いたところ、『クリケットです』と返ってきたらいかがでしょうか?「そこはせめてサッカーと言ってほしかった・・・クリケットはルールすら分からん」となってしまいますね。

共通の体験や記憶がないということは、コミュニケーションにおいて言語の壁よりも高い障壁になると言っても過言ではありません。

今回の記事では、こうしたコミュニケーションの障壁を理解する重要性と、その障壁を乗り越える方法について考えていきましょう。

日本人しか持たない記憶、外国人と共有できる記憶

それでは、外国出身者が持ち合わせていない、日本人の子ども時代の体験や記憶にはどのようなものがあるか、分析してみましょう。同時に、外国人と共有できる記憶についても考えます。

子どものころ流行ったもの

私が子ども時代を過ごした1990年代中盤は、ゲームと言えばスーパーファミコン、中学生時代はプレイステーションでした。また、ルーズソックスやプリクラ、たまごっちも流行りました。もう少し年上の人であれば、ファミコンやビックリマンチョコを思い出す人もいるでしょう。このうち、外国で子ども時代を過ごした人が理解できるのは、プレイステーションくらいでしょうか。

一方最近では、オンラインゲームで世界中の人が同時に同じフィールドでゲームをプレイできるようになっています。そのような意味で、ゲームはいち早く国境を無くしたと言えるでしょう。

子どものころ有名だったスポーツ選手

1990年代にサッカーJリーグが開幕し、日本人選手だけでなく、ラモス瑠偉、アルシンドやジーコといった外国出身の選手が活躍し、私たちの記憶に残りました。また三浦知良や野球の野茂英雄といった日本人選手が、海外チームでプレイすることも増えていました。

しかし、こうした外国出身選手が日本でどのように受け入れられたか、どのように日本人の記憶に残ったかを知っている外国人は少ないでしょう。まさかジーコが、日本で消費者金融のCMに出演しお茶の間のテレビに映っていたなんて、知っているブラジル人は皆無だと思われます。

また、日本人にとっては意外なことですが、野球がメジャースポーツとして受け入れられている国はそれほど多くありません。多くの国では、野球ではなくクリケットが人気スポーツです。イギリス・オーストラリア・インドをはじめ、競技人口は野球の五倍にのぼり、サッカーに次ぐメジャースポーツとして世界中で親しまれています。

こうしたことを考えると、出身国関係なく話が通じるのはサッカーで、それも欧州の主要リーグとそのスター選手たちだけなのかもしれません。

学校の教科書

「ごんぎつね」をご存知でしょうか?ストーリーは覚えていなくても、「ごんぎつね」という名称は記憶に残っているでしょう。小学校の教科書に必ず採用されているお話しです。書籍で買って読んだ人は少ないかもしれませんが、「ごんぎつね」は小学校時代の記憶に刻まれています。

同じく、中学校時代の教科書に掲載されていた「吾輩は猫である」も同じでしょう。「吾輩は猫である」を最後まで読破した人は意外と少ないかもしれません。しかし「・・・名前はまだない」までは皆記憶しています。

勿論、こうした教科書の記憶は日本で小中高生時代を過ごした人だけのものです。それだけでなく、同じ義務教育であってもその内容は国によって大きな違いがあったりします。

例えば、筆者がネパールの大学生と話していて驚いたのは、彼らは地図が北を上にして描かれているのを知らなかったことです。日本の小学校の教室では、必ずと言って良いほど日本地図と世界地図が壁に掛けられています。しかし、ネパールやインドなど南アジア諸国では地図教育をそれほど重視していないようです。それゆえ、高い教育を受けている人たちでも、地図の正しい見方を知らなかったりします。

一方、日本では九の段までしか暗算を教えませんが、インドの商店主は二桁まで暗算してしまったりします。「すごいね!」と驚くと、「学校で習わなかったのか?」と返ってきます。それぞれの国において、教育で重視しているものが違うのだということを実感する瞬間です。

子どものころ見ていたメディア

SNSが流行し始めたのは10年程前です。それ以前は、メディアと言えば専らテレビでした。

とんねるずやダウンタウンなど、日本人なら誰でも知っている名前を出しても、外国出身者には伝わりません。当時のテレビCMやドラマの名台詞も日本で育った人だけの共通の記憶です。小学生のころ、「きんも百歳、ぎんも百歳」というフレーズをいろいろ言い換えて遊んでいたことを覚えているかもしれません。しかし、たとえ同世代だったとしても外国人社員にその記憶はないのです。

一方、日本に来てからテレビ番組の面白さに気付く場合もあります。例えば、留学生たちの間では、ダウンタウンの大晦日番組『笑ってはいけない〇〇』が人気です。笑ってしまったら尻をひっぱたかれて悶絶する、という単純な設定が言語の壁を越えるのかもしれません。

アニメは世界進出した

一方、日本のソフトパワー代表のアニメは世界進出を果たしました。

ガンダムやエヴァンゲリオン、ナルトや鬼滅の刃など、それぞれ時代を代表するアニメが世界進出を果たしました。日本に興味を持ったきっかけがアニメであった、という留学生も多くいます。こうしたコンテンツはコミュニケーションの素材として有効だと言えます。

日本アニメが世界でどのように受け入れられているか、コミュニケーション素材としてどのように活用できるかは、外国人材との共通の話題を探す–日本と世界のソフトパワーの比較からで考察しましょう。

コミュニケーションの障壁を乗り越える

ここまでで、日本で子ども時代や学生時代を過ごした人しか持っていない体験や記憶、そして外国出身者とも共有できる記憶について考察しました。

日本人同士のコミュニケーションではあまり意識しないことですが、外国人社員とのコミュニケーションにおいては「この話題やこのフレーズは、相手に伝わるだろうか?」と考えながら話す必要があるでしょう。そのうちに、「あ、サッカー欧州リーグの話題なら通じるんだ」とか、「ナルトは皆知っているんだな」というように、外国人社員とも共通の話題を見出すことができるでしょう。

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