本当に社会主義国?高層ビル乱立の超近代化都市「ホーチミン市」

ベトナムの代表的な都市「ホーチミン市」と「ハノイ」。北と南それぞれの都市ごとの魅力に光を当てることによってベトナム全体が見えてくると思います。

商業都市「ホーチミン市」の魅力

1975年4月30日、ホー・チ・ミン率いる解放戦線は旧南ベトナム首都サイゴンに進撃し、これにより20年以上にわたるベトナム戦争は終結。この時から首都「サイゴン」は「ホーチミン市」と名前を変えました。

実は名前が変わったのは市だけではないのです。「大統領官邸」はこの年の暮れに国家統一の話し合いの場となって以来、「統一会堂」と変わり、「国会議事堂」は「市民劇場」になりました。一番変化したのはホテルの名前だと言われています。「マジェスティック」は「クーロン(九龍)」に、「パレス」は「ヒューギ(友誼)」に、「カラベル」は「ドクラップ(独立)」になりました。通りの名前もベトナムの歴史や英雄の名前が付けられました。

ところが、北ベトナムが植え付けようとした社会主義は経済の破綻で失敗し、南の市場経済が導入されると立場が逆転しました。街の名前を「サイゴン」と再び呼び出す人も、ホテルの名前を元の名前で呼ぶ人も増えました。

近代化の一途を辿る街

人口は900万人を超え、年々増加の一途をたどっています。最近では住宅不足の問題を抱えており、土地の値段が高騰しているとのこと。

街はサイゴン川の西側に開けており、かつて『プチバリ』とたたえられていた美しい町並みは、ここ10数年で急激な変貌を遂げ、今では整然と並ぶ街路樹やシックなコロニアル様式の建物、カトリック教会にわずかに昔の面影を残すだけとなりました。

市場経済を軸とした自由競争はますます街に活力を与え、現在も目覚ましい発展をし続けています。高層ビルが増え、通りやロータリーは1日中車やバイクであふれ返っています。大気汚染や交通渋滞の問題が懸念されたため、2012年にベトナム初となる地下鉄建設工事が市中心部で着工。2023年以降に完成が予定されています。

高層ビルの大半はホテルで、外国企業が投資してリゾート風の超高級ホテルの建設を急いでいます。マレーシア、台湾、香港、韓国やシンガポールの企業が先を争ってより豪華なホテル建設を進めています。

海外からの投資のトップを行くのは実は台湾。ベトナム進出の背景には、中国と対抗するうえでベトナムと手を組みたいという思惑がありました。また、ベトナムに住む在留台湾人の多さも進出のスピードに拍車をかけた様子です。

都会にある「昔」クメール寺院

ホーチミン市は24の行政地区に分かれており、とくに第1区と第3区は市の中心として栄えています。

その第3区のチャンクオックタオ通りにクメール寺院チャンタランサイ寺があります。起源は1947年と比較的新しいですが、境内に入りクメール建築の本堂や仏塔、そこで修行する黄衣の上座部仏教僧を見ていますと、ここが高層ビル群立ち並ぶホーチミン市の中心ということを忘れてしまいます。

クメール人はカンボジアを中心とした東南アジアの民族ですが、ここベトナムでは約9割がキン族、1割弱が華人、クメール人は少数民族とされています。彼らにとってこのチャンタランサイ寺はホーチミン市におけるクメール人社会の中心的役割を担っています。

そもそもホーチミン市とその周辺は古くからクメール人の居住地域であり、クメール語で「プレイノコール(森のなかの街)」と呼ばれていました。

この地にキン族が現れるのは16世紀後半ないし17世紀以降で、当時ベトナム中部を支配していたフエの阮氏が1698年にザーディン(嘉定)府を設置、事実上の直接支配下に置きました。

一方、この地に華僑が現れるのも17世紀以降。中国での明朝滅亡により、流れてきた難民が阮氏の受け入れを得て、サイゴン東方のミイトーに入植しました。

3つの地区

ホーチミン市は大きく3つの地区に分けることができます。古くからの行政の中心地・サイゴン地区(市中心部)、旧市街地のザーディン地区(市北東部)、そしてミイトーに入植した華人たちが築いたチョロン地区(市西南部)です。

サイゴン地区

サイゴン地区は、阮氏の南部統治施設として築かれた嘉定城があった現在の第1区、第3区を中心とする地域をさし、歴史を通じて行政の中心地でした。

その後ベトナムを植民地化したフランスは嘉定城の跡地に政治的支配の象徴であるインドシナ総督府邸(現統一会堂)と精神的支配の象徴であるカトリックのサイゴン大聖堂を建設したのをはじめ、コーチシナ理事官長邸(現ホーチミン市博物館)やインドシナ銀行(現国家銀行)などの植民地統治施設、中央郵便局やコンチネンタルホテルなどの都市機能一般の整備も行い、サイゴンはフランス風の近代的な植民地都市へと変貌し、その美しさは「東洋のパリ」「極東の真珠」と称えられるほどでした。

ザーディン地区

旧市街地のザーディン地区は嘉定城の北東の城外にあたり、現在の第1区の一部とビンタイン区を中心とした地域をさします。

ディンティエンホアン通りの突き当り右手にあるのが嘉定城を建造したレヴァンズエットの廟です。レヴァンズエットは阮朝の南部統治機関の長としてサイゴンをベトナム人の街として開発する一方、華僑商人を優遇し商業都市としてのサイゴンの発展にも貢献しました。

こうしたことから嘉定城の城外に市街地が形成され、華僑・華人も居住しました。このため現在でもザーディン地区には華人の会館や廟も多く、なかでも第1区にある玉皇殿は一風変わった華人廟として知られていますが、華人ばかりでなく、ベトナム人の参拝客も多い様子です。更に境内にはクメール人の民間信仰に由来するとされる祠もあり、サイゴンの発展史を象徴する史跡の一つとなっています。

チョロン地区

チョロン地区は第5区を中心とした地域をさします。この地は米の流通に携わった華僑により米の集積地として早くから発展し、「大きな市場」という意味の「チョロン」と呼ばれるようになりました。

つい最近までチョロン地区を流れるタウフー運河の両岸には多くの米倉や華人廟があり、当時の面影を伝えていました。しかし、1975年以降の南部社会の急激な社会主義化や中越紛争は華僑・華人の大量国外脱出を引き起こし、1975年以前に約70万であったホーチミン市の華人人口は1979年には47万人にまで減少、チョロン地区の華人社会に深刻な影響を与えました。

その後は政策の展開や中越関係改善によりかつての活気を取り戻し、華人の廟や会館、さらには華語学校や獅子舞団などの活動も盛んにおこなわれていて、現在のチョロン地区では漢字の看板を掲げた個人商店がびっしりと立ち並び、ベトナム語より広東語や北京語が飛び交う街となりました。

3地区のその後

これら3地区は、南北分断後の1956年にサイゴンとチョロンが合併されてベトナム共和国の首都サイゴンとなり、南北統一後の1976年にはサイゴンとザーディンが統合され現在のホーチミン市となりました。

国際都市のこれから

ホーチミン市が北部のハノイと大きく異なる点は、ハノイがその歴史を通じてキン族の街であったのに対し、ホーチミン市はクメール人、華僑・華人、そしてキン族が共存する多民族的で開かれた国際的な都市であることが挙げられます。

今後もそうした歴史に培われた国際感覚を生かし、世界に開かれたベトナムの国際都市としての役割とその一層の発展が期待されます。

さて次回は、ベトナムの首都であり政治・文化の中心「ハノイ」について解説していきたいと思います。ご期待ください!

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