異文化の受け入れについて考えてみる

異文化と触れていてストレスを感じないのか?

先日、セミナーでお話をしたときに「中村さんは、様々な外国籍の人と触れていてストレスに感じることはないのですか?」という質問を受けました。「ほとんど感じません。」とそのとき答えたのですが、「なんでストレス感じないんだろう?」と改めて疑問に思ったので、少し過去を振り返ってみました。

今回は、転機となった私の異文化接触体験を3つ書こうと思います。

異文化との初の接触

外国人留学生の授業

私が最初に異文化の衝撃を受けたのは、高校2年生のときです。科目名は忘れてしまったのですが、外国人留学生が自分の国や文化について話してくれるという授業でした。そのときにシンガポールから来たシム・チュン・キャットさんとポーランドからきたカチマレク・ミロスワヴァさんの講義がとても面白く、海外に対して大きな興味が湧きました。あまりに大きな衝撃だったため、人の名前を覚えるのが非常に苦手な私でも、二人のお名前は覚えてしまいました。

シム・チュン・キャットさんは、確かシンガポールの地理と歴史について話をしてくれたと思います。漫談のように軽快な話し方が特徴的で、それまで”マレー半島の先端にある点”くらいの認識でしかなかったシンガポールについて、国であるという実感を与えてくれました。

カチマレク・ミロスワヴァさんは、ポーランドの文化と踊りについて話してくれたと記憶しています。音楽や踊りにはほとんど興味がなかった私ですが、実際に一緒に踊ってもらったことはいい思い出となっています。

二人の授業を聞くまで私は特に海外に興味を持っていたわけではなく、英語もどちらかと言えば苦手でした。海外旅行にも行ったことはなかったですし、外国籍の友人もいなかったので、単純に海外との接点がなかったのです。それまで教科書の中でしか知ることのなかった世界が教室内に現れ、自分の知らないことをたくさん教えてくれたことで、海外に対する興味が強く湧いた出来事でした。

異文化に飛び込む

カナダ留学

次の転機は高校3年生の夏に訪れました。日本の大学入試制度に納得がいかず、カナダのバンクーバーに留学しました。相当親の反対にあったので、春先からアルバイトを始めてお金を貯め、パスポートの取得やら語学学校の調査やら航空券の手配やら手探りで行いました。

当時の私の計画は、2ヶ月ほど語学学校で英語を勉強してTOEFL iBTで70点くらい取得し、まずCommunity Collegeに入ってから、The University of British Columbiaに編入するというものでした。この方法であれば、最初の英語力が低くても、費用的にも実現可能そうだったのです。ところが、入学して3週間ほどするとお金がなくなってしまい、結局1ヶ月程度で日本に帰国しました。行けば何かしらアルバイトできるだろうと思っていたのですが、現実はそう甘くなかったのです。

それでも、バンクーバーで過ごした約1ヶ月は有意義な時間でした。勉強はもちろん、買い物、移動、食事、日常のありとあらゆる場面で不自由を感じ、その度に誰かに助けを求めるものの、うまく話せないし相手の言っていることもよくわからないという体験は、私の状況観察能力と環境適応能力を大幅に向上させました。英語の改善以上に、これらの生存スキルが身についたことこそ最大の学びだったと今では思っています。

言葉はうまく通じないものの、それでも助けてもらいながら生活できたという経験が、異文化交流への意識をポジティブなものにしているのかもしれません。

常識の崩壊

パキスタン渡航

最後の転機は大学3年生のとき、休学して1年ほどインドとパキスタンに滞在したことです。大学では講義室にも、食堂にも、部活・サークルにも留学生がいるのが当たり前で、異文化交流などという意識もなく学び合える環境でした。長期休みには毎回どこかしらの国に行ってもいたので、「へぇ〜そうなんだ〜」くらいに思うことはあっても、衝撃を受けることはほとんどなくなっていました。

ところが、インドとパキスタンでの滞在経験は、私の常識を打ち壊し、多少のことではイライラしない土壌をつくりあげました。例をあげると枚挙にいとまがないのですが、電車に乗ったときのエピソードが比較的短く話せるので、これについて書きます。

ニューデリーからアーグラ行きの電車に乗ったときのことです。私が予約した席におじさんが乗っていました。チケットを見せながら「ここは私の席です。すみませんが、空けて下さい。」と伝えたところ、「そのチケットは偽物だ。ここは俺の席だ。」と拒否されてしまいました。「では、あなたのチケットを見せて」と言うと、ポケットやらかばんやらを探った後に「なくしたみたいだ。でも間違いなく俺の席はここだ。」と言い張る。そんな馬鹿な・・・とは思いましたが、物理的におじさんを動かすわけにもいかないし、駅員さんらしき人も見当たらないし、「そのチケットは偽物だ」などというトンデモ理論を論破することも難しい。事なかれ主義でいくなら自由席に座ることですが、お金を払っているにもかかわらず、グレードの低い席に座るのも悔しい。さて、どうしよう?ほぼ毎日、このような状況に直面します。

上の事例では、下手くそなヒンディー語で周りの乗客を味方につけ、おじさんを追い出すことに成功したのですが、正直悔し涙をのんだケースの方が多かったと思います。日本みたく住人が当たり前のように共通のルールを守っている社会というのは、こうも生きやすく、便利なんだなと深く実感させられました。同時に、留学生の友達が「日本は便利で住みやすいよね」と口々に言っている意味もわかりました。自分の常識と大きくずれた言動をされたときでも、落ち着いて対処できるようになったのは、この経験が大きく寄与していると思います。

ポイントは違いを楽しめるか

前半は、私個人の体験談でしたが、後半は異文化と触れるときのポイントについて書こうと思います。

正直なところ、ありとあらゆる異文化を受け入れることは無理だと思っています。人それぞれ許容範囲がある程度決まっていて、その範囲内であれば容認できるだけであって、中には受け入れるけれど違和感を覚えるものもあるし、範囲外のものであれば怒りや敵対心が生まれると思います。私の場合、その範囲が平均的な日本人より拡がっているので、ありとあらゆる文化を受容しているように見えているだけでしょう。

そして、この許容範囲を拡げるためには、現実に文化間の摩擦に直面することと、それを自力で乗り越える経験が必要です。それには根気も時間もかかります。義務感を伴って達成できるものではないでしょう。

そう考えると、異文化の受け入れにおいては、最初に「楽しい!もっと知りたい!」という感覚を持つことが大事だと思います。違いを楽しめないと、いちいち面倒に思えてしまい、文化間の摩擦から逃げるよう行動してしまうでしょう。例えば、私の場合でもシム・チュン・キャットさんとカチマレク・ミロスワヴァさんの講義が面白く、バンクーバーで楽しい思いができたから、インド・パキスタンでの困難を乗り越えることができたのだと思います。

従って、会社で外国人社員との間に溝がある場合、問題解決に向けた対処療法に加えて、異文化交流が根本的に楽しいと思えるようなアトラクションを実施すべきだと私は思います。過去の事例を紐解いて、問題Aには解決策Aを、問題Bには対策Bを、という具合に対処することは可能ですが、問題C、問題D、問題E・・・と次々に出てきたときにストレスや怒りが湧いてしまうことでしょう。

職場において、「日本語が不得意だから多言語対応しなきゃ」「相手の文化に敬意を払って、ちょっと面倒だけど我慢しなきゃ」など義務感を伴っては、持続性はありません。違いそのものを楽しむことが重要です。逆に、違いが楽しめないのであれば、無理にダイバーシティを推し進めて疲弊することはないと思います。必要な時に、必要な範囲で、必要な量だけ戦略的に人材の多様化を実現すればいいのです。

頭より身体で学ぼう

日々の業務ではあまり評価されていない「楽しむ」という感覚。適度な遊び心は生産性の向上や創造的思考に良い影響を与えると知りながら、具体的な施策はあまり取られていないように感じます。人材の多様性推進は、この「楽しむ」という力を会社及び社員にもたらす良い機会でもあると私は考えています。他文化に触れるチャンスに溢れている現代、頭で考えるより先に一度体感してみてはいかがでしょうか?

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